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【人生の総まとめ❶】中朝国境の町 私のルーツ

     ❶  私のルーツ

  北朝鮮と中国の国境の町【丹東市】は旧満州の安東市に当たる。戦前当時、ここには、日本人も中国人も朝鮮人も多く住んでいた。鴨緑江にかかる鉄道トラスの回転式断橋は旧日本軍が作ったと見られる。

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  安東市六道溝という場所がある。ここは約70年前にかなり裕福な日本人一家が住んでいた。自転車の店を経営しながら、4階建てのビルがあった。この家の主人は、商人かつ軍人(指揮官)である。この人が自分との血の繋がりがある祖父である。この家族には、3人の子供がおり、長男次男長女である。次男が自分の父である。そして、その家には使用人がおり、料理担当には楊長春(ヤン)という背が高い男が居た。楊の妻は闞麗珍(カン)と言い、楊夫婦には子供がいなかった。この日本人一家と深い付き合いがある中国人の闞力生一家がおり、闞力生は闞麗珍の実兄である。

  時は昭和20年、太平洋戦争で日本は戦争で敗戦した。楊夫婦によると、戦敗を聞き、祖父は拳銃自殺した。残された祖母は、次男(3歳)を楊の妻の兄に当たる闞力生に預け、長男(当時7歳)と長女(当時1歳)を連れて日本へと渡ったとされる。闞力生はすでに子供がいたので、父は子供がいない楊夫婦の養子となって、馬車で半月をかけて、田舎の村へと戦火を逃れるため避難した。

  残念ながら、これらを示す証拠はない。何故なら、この経緯は楊長春逝去後に闞力生あてに手紙で当時の事を問い合わせし、その返信の手紙に書かれた事だった。手紙は激怒した父が破り捨てた。30年以上前の事ではあるが、父が読み上げた手紙の内容を忘れる事は無かった。

  北朝鮮金正恩が列車で中国へ渡る時、この国境の町は度々テレビで中継されるたびに、私のルーツであるこの町に思い起こさせられる。