自分史 投資 AI 機械学習 ロボット

趣味全般 色々書く予定

【人生の総まとめ 帰国編】父の決断

   忘れもしない1987年の夏、この夏で筆者一家は大きく運命が変わったと言っても過言ではない。筆者一家はこの夏に中国から日本へ引き揚げた。

f:id:akeyi:20190531175630j:image

  人の人生っていろんなシーンがあって、波瀾万丈である。筆者一家は、村で一番か二番ぐらいに貧しかった。分配された土地は痩せているし、収穫前によその農家に作物を刈られ盗られたり、事件レベルである。しかし中国の公安局は人命に関わるような案件でないと受け付けない。ともあれ、人間は生まれた場所、家庭によって運命が定まっているような気がする。どんなに貧しかっただろうと、どんなに理不尽な対応があろうと、どんなに差別され、侮辱され、見下され...

  逆転のカギは生まれた瞬間に決まる。その決定的となったのは、筆者の父が日本人の子だと言う事だった。日本人かどうかは実は体の一部に刻まれている。予防接種の傷に違いがある。

  父が日本人宣言したのは、父の養父が亡くなった時からで、関係者に問いの手紙がきっかけとなり、その手紙には、真実が綴られている。

詳細は【人生の総まとめ❶】にまとめている。

【人生の総まとめ❶】中朝国境の町 私のルーツ - 自分史 投資 AI 機械学習 ロボット

そして、日本人だとわかってもどうすれば良いかは分からなかった。

  しかし運命は逆らえない。進路示す貴人はいる。それは、血の繋がりこそないが、父の従兄弟の「陳さん」であった。陳さんは大学を出た秀才で都市で生活しているが、たまに帰郷して筆者のうちで食事する事はしばしばある。博識の陳さんから「「日本大使館」と言うのがあって、そこに手紙を出せば良い」と言う事だった。当時はインターネットもないし、情報は閉鎖されている。

  手紙を出す場合、普通は住所を書いて出すのだが、日本大使館の住所は知らなかったため、封書に「日本大使館」と書いて出したら、届いたと言うのが驚いた。そこからは、日本外務省から色々調査の書類などが届いて、無論中国語の翻訳が付いている。

  当時父はすでに40半ばであったため、この中国で中国人として一生終えるつもりでいた。父自身も日本人である事に違和感があった。中年になってからいきなり生まれた国と違う国籍になるのは、誰もが簡単に受け入れる事ではない。また、周りに反日感情があって、なおさらである。父は迷った、何故なら、言葉も習慣も異なる国で生きることが出来るだろうかと言う不安感と、生まれた本来である「祖国」日本で骨を埋めるのが、本来の人間のすべきことである。「落葉して根に帰る」と言うことわざがあるように、父はついに決断した。それは、父自身ではなく、筆者を含め、3人の子供の為、どんなことであっても、「祖国に帰る」と言う強い意志があっただろうと思う。

 栄華の安東時代、試練の文革時代、そして、不安になる反日感情に囲まれた環境で、日本人として生きる事はどれだけ耐えて行く事になろう。日本に来て初めて人間らしい生活を送る事を知った。これが文明の力である。無論、日本に帰ってから色々なエピソードは別の機会に紹介したい。